猫にごはん

 

 

 

 

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2007年1月 アーカイブ

2007年1月 1日

夕陽選抜チーム

元旦の夕方、うちから最も近い、海岸に夕陽を眺めに行くために、車を出した。
別に年始早々飲んだくれていたために、初日の出が拝めず、その代わりにと夕方にしたわけではない(←かなり近いけど)。西海岸のサンディエゴでは、海から昇る日の出を見ることはできない。しかし、贅沢なことにいつでも海に沈む夕陽を見ることができるのだ。
私は海岸を散歩に行くのも大好きなのだが、夕陽を見に行くのもとても好きだ。大晦日はお気に入りの散歩スポットの海岸で散歩をし、元旦は別のお気に入りの夕陽スポットで夕陽を見る。どちらも車で10分足らずの場所にある。しかしながら、こんな近くの気軽な場所に、なかなか二人では行けないんだなぁ。
以前にも書いたが、Jは大の散歩嫌いで海嫌い(←本人曰く好きでも嫌いでもないそうだ)。
昨日は、今年最後の散歩だからと、なだめすかして前日から約束してようやく海岸へ行く。今日は、今年最初の夕陽だからと、再びなだめすかす。うーん、こんなに海嫌いな人がいると、説得するのも一苦労だ。

今頃の時期は夕方4時55分くらいに陽が沈む。うちを出発したのが4時35分。といえば、どんなにぎりぎり、それこそ本当に夕陽をながめるためだけに外出したということが分かるだろう。
今日は人がたくさんいるだろうと予想した通り、海岸には大勢の人がいて、夕陽を待つ。砂浜に毛布を敷いてコーヒー持参でながめている人。高台で本を読みながらその時を待つ人。人それぞれだが、元旦のこの日はいかにもみんな待ちもうけている感じ。日本で行ったら初日の出を待つ人と同じ雰囲気だ。
みんな夕陽が大好きなんだねぇ、と感慨深く見渡す私の横で、Jは言った。
「当たり前だ。今日こんなところにいるやつらは、夕陽好きの選抜チームみたいなもんだ」
そして、ほらあそこにも、ほらそこにも、と指差す先には、確かにいかにも相方に連れられてしぶしぶ来たかのような人たちがいる。例えば本を片手に夕陽を待っていたおじさんは、一人で来ているのかと思いきや、奥さんらしき人は暖かい車の中で座って待っていたりするのですねぇ。おぉ、Jのような夕陽嫌いがここいもいたか。こんなに近くに良い海岸があるというのに、夕陽を見に行かない方がもったいないと思うんだけどなぁ。
陽が沈むと同時に、たちまちあちこちで車のエンジンがかかり、帰ってゆく。この余韻のなさがまるでアメリカの映画館のようではないか。もちろん、早く帰ろう帰ろうというJにつられて、私たちもあーっちゅう間に帰ってきたましたとも。帰宅したのは、5時5分。正味30分の外出だ。今日は夕陽をながめた最短記録かもしれない。
決めた。新年の目標。
『週に一度はゆっくり夕陽をながめる』(←やめてくれー。byJ)
2007年初日の入り → 猫にごはん

2007年1月 5日

はじめの一歩

この猫は7歳の雌猫でMatrixという。通常10〜12匹程度で推移しているボランティア先の猫のうち、最も長くここにいる猫(約3ヶ月)であり、かつ最も重い(約10キロ)。
私はこういう猫がかわいそうでならない。大きな体でこんな小さなケージの中に3ヶ月もいたら、そりゃあ性格も変わってきてしまうだろう。ログブックを見ると、当初は他の猫のようにケージから出て、遊んだりもしていたらしい。ところが、今やケージを開けてやっても自ら出てくることは決してなくなった。掃除中に無理に出されるとき以外、何週間も何週間も閉じこもっている。暗い目をして、全世界を憎んでいるかのような表情が哀れでならない。
確かにケージの中に手を伸ばしても、激しく威嚇してくるし、口も爪も出る。これではなかなかもらわれるのは、難しいだろうなぁ。もう少し社交的になってくれるといいのに。
前回来たときに私がやったことは、他の猫をみんなケージにしまい、誰もいなくなったところで、Matrixのケージを開けて、ついでに私も部屋から出る。10分くらい置いた後、そーっと部屋を覗くと、おぉ!前足だけケージから外に出しているではないの。しかし私と目が合ったとたんに、また元の位置に戻ってしまった。それ以降いくらやってもダメ。
ログブックにその旨を記録しておくと、他のボランティアたちから、それはすばらしい進歩だとお褒めをちょうだいした。それくらいの引きこもりぶりなのだ。
今日は最初から決めていた。絶対Matrixに外に出てきてもらおう。
今回は他の猫を閉じ込めるところまでは一緒だが、私は部屋に留まることにした。部屋の隅から「怖くないよ。大丈夫だよ」と(日本語で)声をかけ続けると、出てきた出てきた。すぐに戻れるようケージの前から離れはしないが、完全に外に出て床のにおいなど嗅いでいる。新年のはじめの一歩だね。ケージの外30センチの距離にさりげなく置いてみた猫草に、恐る恐る近寄って、もりもり食べている。かわいいではないの、Matrix。
その間、部屋の中に入りたそうにしているお客さんたちをも制止し、しばしの散歩時間を与えてやった。こうしてね、かわいらしいきみの姿を見られることによって、里親が見つかるかもしれないのだよ。これからは毎回私のシフトのときには、最初にきみに時間を与えてあげようね。
少しだけ探索中。 → 猫にごはん

その他、むかついたことを2つ。先週もらわれていったはずの、アビシニアン系美猫Bensonがたったの一日で返品されてきていた。理由は、家具をひっかいたから、とのこと。もう1つは、おとなしい猫を探しているという20代と思われる白人女性が、かわいい腎臓病のFlowerに目をつけた。かわいそうなことにFlowerは、捨てられる前に元の飼い主に爪抜き手術(declaw)をされている。「もう爪がないってことは、手術する手間がはぶけるわね」と笑ってのたまわったこのバカ女。帰れー!

2007年1月10日

秘められた栄養

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見よ、この美しいシクラメン。
植物を育てるのが上手な人のことを、英語で、green thumb(緑の親指)を持っているという。アメリカに来た当初、この単語を教わって、以来忘れたことはない。他の単語はどんどん記憶の縁からこぼれ落ちていくというのに、なぜか忘れられない単語というのが、こういう自分と縁のなさそうな言葉に限ってあるんだなぁ。

うちのベランダは全然植物の育たない呪われた地だった。しかし以前、ひと夏留守にした際に、Kさんとマルコさんによってそれが誤りだったと、見事証明されてしまったのだった。その夏に限っては、ぐいぐいとバジルが生い茂っていたが、昨年はひとかけらも何も生えてこなかった。しくしく。
私が育てることのできる植物は、ソフィーお嬢さまのための猫草と、そしてなぜかこのシクラメンの花だけだ。シクラメンはもう5年前のもので、鉢も土も買ったときのまま放ったらかしなのに、律儀に毎年花を咲かせる。しかし今年のシクラメンは勢いが違う。いつもより葉も多いし、花も多い。それにはちゃんと理由があるのだった。

昨年のこと。ベランダに蟻が大発生しているのに気がついた。大量の蟻を見るといつもパニックに陥って、家中に火をつけてしまいたくなる衝動にかられる私だが、なんとか蟻の発生源を突き止めると、そこはなんと、このシクラメンの鉢なのだった。この鉢は、2重になっていて、外側の模様がついている鉢を持ち上げると、そこからもう何億という単位の蟻が吹き出してきたのだった。こんな隙間に蟻の巣ができてるっ!ひー。それはもう、今思い出しても気が遠くなりそうなくらい、恐ろしい数の蟻だった。
とにかく速やかに、シクラメンあらため、蟻の巣をうちの中から撤去しなくてはならない。必死の思いで撤去して、移動させた場所は、アパート敷地内の植え込み。いえ、もちろんそんなところに勝手に捨てたわけではない。ほんの少々移動させただけなのです。これほんと。
そしてそれきり、シクラメンのことは忘れていたのだが、秋になって気がつくと(←かなり長いこと忘れていた)植え込みの中に、青々と元気な葉が生い茂っている見慣れた鉢があるではないか。その鉢を放置した先は、偶然にもスプリンクラーのすぐ近く。毎日定期的にきちんと水をもらえていたためか、シクラメンは我が家にいたときよりも、ずっとずっと元気になっていた。おまけに蟻ももう1匹もいなくなっている。
そしてそのまま、冬になって気がつくと、なんと今までにないほどのたくさんのつぼみを抱えているではないか。よっぽどこの植え込みの環境がよかったのか。それとも蟻の巣に何か栄養が秘められていたのか。しかしこんな日陰で、誰にも美しい花を愛でてもらえないのもかわいそうだということで、このたびまた我が家のベランダに移動させることにしたのだった(←勝手なやつ)。そのとき、蟻がいないかどうか、念入りに確認したのは言うまでもない。
以後スプリンクラーを見習って、毎日きちんと水をやっております(反省)。これからも毎年きれいな花が咲くといいね。

2007年1月12日

猫に寿司

Temaki style Sushi → 011307_1.jpg
日本から良い海苔をもらったので、今日は久しぶりに手巻き寿司。寿司飯を用意するだけでいいので、手巻きはラクチンだ。家で食べると、好きなだけ飲んで食べて、ゴロゴロ休みながらまた食べて、あー楽だ。
この刺身はいつも買いに行く日本人経営の魚屋で購入。なんといってもカリフォルニアで獲れるウニが安くて新鮮なのが良い。二人でお腹いっぱい食べて、一人1000円程度だ。安い。
猫用ミニ軍艦巻き(うそ)→ 猫にごはん

もちろん猫にもおすそわけ。
今日は生魚があるわよ。→ 猫にごはん

通常猫ににおいをかがせると、猫が食べ物だと認識したときは、舌なめずりをする。しかしノアは、生魚に限っては、そもそも自分が食べられる物だと思っていないようで、舌なめずりどころか、嫌な顔までする。ソフィーが生魚を食べている横で、猫缶にしか目もくれない。きみたちいったいどっちが日本猫なのよ。
生魚がダメなんて子供ね、あの黒猫。→猫にごはん

ソフィーは大の生魚好きだ。マグロもハマチもサーモンも、大好き。もりもりよく食べる。
普通の猫餌のときは、なぜかノアに優先権があるので、横取りされてもじっと我慢するソフィーだが、刺身のときだけ違う。自分のものだと心得ているようで、ノアにもやろうとすると、無理矢理横から口を出してぱくりと食べてしまうのだった。
く〜おいしかった。 → 猫にごはん

ごちそうさまでした。 → 猫にごはん

2007年1月16日

猫を仲良くさせる方法

南カリフォルニアはここ数日、例年にない寒さのようで、ニュースでは各地で最低気温を更新したと連日のように伝えている。特にオレンジ農家や花畑で寒冷の被害がでているらしく、果物やバレンタインデー用の花が値上がりするかもとのこと。凍ってしまったオレンジやアボカドが痛々しい。
うちのあたりでも、今夜は2℃近くまで冷え込むらしい。サンディエゴでこんなに寒い冬は初めてだなぁ。
そういえば、最近毎晩のようにヒーターを点けている。こういうとき、天井が高く、玄関に直結している仕切りのないリビングルームはなかなか暖まらなくて辛いのだ。寒がりの猫たちは、もちろんのこと、暖を求めて人間の膝を狙う狙う。ほんのちょっとメールチェックだけしよっと、などとうかつにパソコンデスクにも座れない。ものの10秒もしないうちに、猫に乗られてしまうのだ。なので、用事のあるときは、極力椅子に座らないで立ったまま済ませる私。コーヒー立ち飲み・お菓子立ち食い・立ちパソコン。人が座らないと、仕方なく猫たちはこんなふうに自力で寒さをしのぐのだった。
寒いわよこの家! → 猫にごはん

先日、背の低いテーブルに毛布を2枚かけて、コタツもどきを作ったところ、みごと2匹とも罠にひっかかり、一晩中コタツで過ごしていたのだった。きみたち、毛皮があるくせにどうしてそんなに寒がりなの。近頃、この仲のあまりよろしくない2匹がぴったりくっついて寝るようになったのも、南カリフォルニアの記録的な寒さのおかげか。
早く座ってー。 → 猫にごはん

教訓 : 猫を仲良くさせるには、家中寒くしておきましょう。

2007年1月17日

燃え尽き症候群

一週間くらい前から、突然いろいろなものが壊れ始める。無線ルーターが壊れ、インターネットが使えなくなり、テレビが観られなくなった。要するにルーターとケーブルが壊れたのだ。
アメリカでこういうものが壊れた時、何がストレスかというと、修理の依頼を電話でしなくてはならないことだ。お客様相談口のようなところに電話をかけても、まず100%絶対に繋がない。何度も言われた通りにナンバーをプッシュしても、オペレーターまでの道のりはまだまだ遠い。果てしない待ち時間の間(約30分)、電話口から流れるCMを永遠と聞かされ続け、あげくに突然無音になり、なぜだか勝手に切られてしまったことに気付く。がーん。これを繰り返すこと2回。やつら、絶対故意に切っているに違いない。そもそもここまでたどり着くにも、どのような状態で故障しているのか、何度もメールでのやりとりを続けたというのに。いい加減にしろよ、Linksys(無線ルーターの会社)。
それに比べると、ロードランナー(ケーブルの会社)の対応は、すばらしくましだった。電話も『わずか』10分くらいでオペレーターに繋がったし、やりとりも『たったの』2回で修理の人が来てくれることになった。もうこれだけで感謝の気持ちでいっぱいになる、悲しい立場の消費者なのであった。

それまでの間、とりあえず壁から直接コードを繋げば使えるようにはなった。つまり、インターネットは使えるが、テレビが観られない。テレビを観るときは、インターネットが使えない。どれか1つだけ。なんてアナログな世界に逆戻りなのだ。つい先頃まで、無線ネットワークで家中のパソコン(4台)が常時ネット接続だったというのに。
テレビが観られないのは、別に気にはならないだろうと最初は思っていた。普段からあまり観ていないし。しかしながら、観られないと思うと、そのとたんに急に観たくなるのが人情というもの。なんだか音がないのって寂しい。わざわざ音楽をかけるほどもない短い時間、テレビって役にたっていたのだなぁ。

ともあれ、本日午後やっと修理の人たちが来てくれた。それもなんと驚いたことに時間ぴったりに来た。アメリカ人の対応にしては信じがたいほどの正確さだ。
どかどかと大男の白人2人が突然荷物を持ってやってきたので、パニックしたのは猫たちだ。予期しない来訪者と玄関で鉢合わせしそうになった恐がりのソフィーは、もうそれこそ気が狂ったようにクローゼットに必死で逃げ込む。そしてなぜだかノアまで大興奮し、大男の足の間をぬって家中を全力疾走し始めたではないか。
「What's that?!」「Black cat!?」
なんだかにわかに大混乱だ。姿が見えなくなったと思ったら、ノアは突然曲がり角から奇声をあげて襲いかかり、大男の足に猫パンチをくらわせたりしていた。いい加減にしなさい。
今日は疲れた。 → 猫にごはん

現在、疲れ果てたように眠る猫たちの横で、ようやく(有線ながら)インターネットとテレビが同時に使えるように無事復活した。故障の原因は、家の外にあるケーブルの線が燃え尽きたからだとのこと。も、燃えたっていったい何...?!ま、いっか。使えるようになったしね。
この辺が怪しいわね。 → 猫にごはん

2007年1月21日

豆乳猫

ボランティア先にいるこの白黒猫は、Callaという。8歳になる雌猫だ。体重は9キロもあるが、仔猫のようなかわいらしい声で鳴き、たいへん愛らしい。Callaは膝乗り猫(lap cat)だ。毎回足がしびれるほど、いつまでもいつまでも自分だけ人間の膝に乗りたがる。
大きいLap cat → 猫にごはん

こういう大柄な猫はあまり自分の体を舐めないからなのか、この猫はなぜだかいつもフケだらけだ。今日もたっぷりブラッシングをしてやったが、どうにもフケは取れない。困ったものだ。Callaはいつもこうして扉の前に座り、外を眺めている。きみが早くそこから出られる日がくるといいと心から願うよ。そのためにも、できるだけきれいにしないとね。

この茶色の猫はTofuttiという。3歳の雌猫で、年齢も柄もうちのソフィーに似ている。遊び好きで怖がりなところも一緒だ。
ちょっとシャイなTofutti → 猫にごはん

ところでこのTofuttiという名前、変わった名前だとたずねると、デボラが教えてくれた。元の飼い主がベジタリアンだったとのこと。Tofutti→豆腐→ベジタリアン。以来、誰もいないときは『豆腐ちゃん』と呼びかけていた。日本人には親しみやすい名前だと思っていたところ、試しにネットで検索してみたら、Tofuttiというメーカーがちゃんとあるのだった。れっきとした上場企業ではないか。乳製品を使わない、豆乳でできたフローズンデザートを作っている会社だそうだ。今度からは『豆乳ちゃん』と呼ぶことにしよう。

豆乳といえば、アメリカではたいてい牛乳売り場の横に、でーんと大きいスペースで豆乳売り場がある。むしろ豆乳のほうが種類が多いのではないかと思うくらいたくさんあるのだ。私は今まで一度も豆乳というものを飲んだことがないので、この際(どんな際だ)試してみることにした。チョコ味やら、バニラ味などフレーバーもたくさんあるのだが、まずは基本のオリジナルを購入。
冷蔵庫に入れ、様子をみる。しかし即座にJは、自分は絶対に飲まないと宣言する。嫌いらしい。そう言われると、途端にこちらも気弱になるものだ。1リットルもあるし、どうにも開けられないまま早くも3週間が過ぎようとしている(賞味期限がいやに長いのだ)。やっぱり飲みきれないだろうなぁ...。どうしようこの豆乳。

今日のボランティア中に驚いたことが一つ。掃除中、ふと外を見るとそこに見知った顔がいて、ガラス戸越に手を振っているではないか。おぉJだ。
仕事中抜け出して、見学にきたのだそうだ。今まで友達は何人か突然遊びに来てくれたりしたことはあったが、Jが来たのは初めてだ。何だか身内に、こういう働いている現場を見られるというのは、どうも気恥ずかしいものだ。久しぶりによその猫に触れるJは、まだまだ遊び足りなさそうにしていたが、とっとと掃除を終えて引き上げることにした。なんだか照れるのよね。

2007年1月22日

ぼんやり考えたこと

一昨日、叔母が亡くなった。以前から具合が悪かったようではあったが、もう一度会えるかと思っていたのに残念でならない。優しく、たいへん面倒見のよい、リーダーシップのある人だった。最後まで仕事をばりばりしていた格好いい女性でもあった。

アメリカに住むようになってから、身近な人が亡くなったのはこれで4人目だ。
そのうち2人は仲の良い飲み友達だった。思い出すのは、あの頃一緒によく飲んだなぁということだ。2人ともたいへんお酒の強い女性だった。楽しい思い出しか残っていない。友達のうち、一人は私と同じ年齢というのも感慨深い。最後に会ったのは私の結婚式のときではないか。
葬儀のときはたくさんの知り合いが集まったと聞いた。今後友人同士が集まるのは、おめでたいことばかりではなくなってくるのかもしれない。もうそういう歳になったのか。
何より遠くて最後に会えなかったこと、お葬式にも参列できなかったことが寂しい。

話は変わるが、そういえば、おばさんという漢字には意味があるのだった。叔母(父母の妹)、伯母(父母の姉)、小母(よその大人の女性)。叔母さんに、最後に会ったときにもらった口紅は、まだ開けてもいなかった。使ってみようかな。

昨日から私がぼんやり考えていたのは、小学生のの頃テレビで観た、恐山のイタコのことだ。(※イタコは「口寄せ」により、死者の世界にいる先祖や肉親・友人・知人と、 現世に生きる人との仲立ちをし、今は亡き人の意志を伝達する。)
当時そのテレビを観たときに、あぁ自分にはイタコに呼んでもらいたい人がいない、どうしよう。と悩んだものだ(なぜ悩む?)。それほど、子供の頃は身近な知り合いで亡くなった人がいなかったのだ。今なら、あの友達もあの叔母さんもいるなぁ、などと考えたのは不謹慎だったろうか。いや、あの人たちなら、私のこういうところも許してくれるはず。心より冥福を祈ります。

2007年1月23日

200黒猫!

黒猫振興会

黒猫振興会登録の黒猫が200匹を超えました!

栄えある(?)200番目の黒猫に選ばれたのは、fairyaさんのお宅のきゃろちゃんです。おめでとー。
黒猫の写真も200も集まるとかなり壮観です。よろしかったらご覧くださいませ。(黒猫振興会写真集はこちら
黒猫振興会がいつ発足したのか、『猫にごはん』古いのブログが現在見られない状態なのでよく分からなかったが、matthew副会長の記事によると、2004年10月3日だ。もう2年以上前なのだ。我ながら、よく続いたものだ。
どういう経緯でこの会が作られたかは、うろ覚えだが、主旨はこういういことだ。『黒猫が不吉だ』という古い迷信を打ち砕くべく、各地で黒猫がどんなにかわいいか吹聴してまわり、黒猫のイメージアップに鋭意努力していこう、という黒猫好きの会なのだった。みなさんの努力の甲斐あって、いまやこんなおろかな迷信は全く耳にしなくなった(希望)。

世界中の黒猫(と、黒以外の全猫)が、どうかいつまでも幸せで暮らせますように!

2007年1月27日

朝陽選抜チーム

なんだか最近、近場の遠出をしていない。一日かけてどこかへ行きたい。何かの景色を見たい。そういうとき、さてどこへ行こうかと考えると、思いつくのはやっぱり砂漠だ。南カリフォルニアはどこでも砂漠のような乾いた土地なのだが、たまに本格的な砂漠を見たくなる。

夜中に出発し、朝陽に間に合うよう、ひたすら車で飛ばす。4時間かけてたどり着いたところは、Mojave Desert(モハベ砂漠)。ハイウェイを降りてからは、徐々にすれ違う車の数が減り、最後はとうとう前も後ろも対向車線にも1台も他の車を見かけなくなる。もちろん街灯なんてありもしないので、たよりないうちの車のヘッドランプだけが唯一の文明の明るさなのだ。しかし地平線のすれすれから180度にわたって星が明るく見える。目的地は砂漠の中にある砂丘(Kelso Dunes)。
朝陽を見たときの気温はたぶん3℃くらい。砂漠の朝は寒い。
モハベ砂漠。 → 猫にごはん

砂漠と砂丘は何が違うかというと、トレイルを歩いて奥に行けばすぐに分かる。砂丘に入るにつれ、砂がどんどん深くなって足首まで沈みそうになるくらい、柔らかい乾燥した砂だらけになってくるのだ。それでも、どんどんどんどん奥へ行くと、もう草一つ、石一つなくなってくる。砂紋(さもん)には、小動物の足あとが何種類もあるので、生き物が生息しているのは間違いないが、何一つ音がしないので、非常に不安になってくるのだ。その静けさたるや、自分の耳の中の血が流れる音すら聞こえてくるように思えるほどの、完全なる静寂なのだ。
砂の上には何かの足跡。 → 猫にごはん

一人で歩いていたので、これはまずいかも、と来た方向を振り返ると、遠くのほうにJの洋服らしき色が見えてほっとする。『おーい』と呼ぶが、あまりに小さい自分の声はたちまち砂丘にすいこまれて、本当に声を出したのか、出したと思っただけなのか区別がつかなくなるような気分なのだ。それはそれは、恐ろしい静けさ。

砂丘の中の植物はまるで誰かが活けた花のように、ひとつひとつ形が違って、とても芸術的だ。
砂丘に生きる美しい草。 → 猫にごはん
サボテンも芸術的。 → 猫にごはん

奥まった砂丘を出ると、砂漠全体は国立公園になっているので、ちゃんとキャンプ場もあり、バイカーもたくさんすれ違い、みな思い思いに遊んでいるのを目にする。そしてよーく見ると、人っ子一人いないような見捨てられた土地にも、放牧中の牛がいたりして、道から外れた遠くのほうに人家があったりもするのだった。こんなところに住むなんて、よほどのへんくつな変わり者に違いない。こういう土地には、水が一滴もないように思えるが、実は地下水脈もあるのだ。
Hole-in-the Rock(壁の穴?)という場所では、地下の湧き水が飲める。飲料水と書いてあったので飲んでみたら、すごくおいしかった!と言いたいところだが、なぜかだし汁のような味のする、体に良くなさそうな水だった。昼間はTシャツでも暑いくらいの気温だった。いかにも砂漠らしいね。
おいしそうに見える湧き水。 → 猫にごはん

私はこのカリフォルニアの、荒涼とした、殺伐としている景色が好きなので、ドライブも楽しい。映画『バグダッド・カフェ』そのままの光景が広がる。ルート66を通って、だだっぴろい一本道をひた走り、ゴーストタウンで一休みする。たまに見かける貨物列車の写真撮り、手を振ると(←こんなことをやるのはJ)、運転士さんも手を振り返してくれ、陽気に鳴らしてくれる汽笛が砂漠の中に響き渡っていた。
これがルート66。 → 猫にごはん
みんな大好き貨物列車 → 猫にごはん


本日のドライブ、走行距離は616マイル(約1000キロ。東京から九州くらいの距離)だった。砂漠で朝陽を見よう日帰り強行ツアーは、今回は3人(夕陽好き選抜チームのマルコさんと私、そしてJ)で行ったので、運転手が多ければ多いほど、ラクで楽しいというのが分かった。みんな、おつかれさまでした。楽しかったね。
永遠と続くまっすぐ道。 → 猫にごはん
食事ももちろんアメリカン。 → 猫にごはん

2007年1月29日

水になります

うちは、なぜだかよく断水する。
住んでいるアパートの問題なのか、地域の問題なのかは分からない。事前に連絡があるときもあれば、連絡なしのサプライズ断水のときもままある。たとえ連絡があったとしても、玄関のドアにはさまれる『断水のお知らせ』の紙には、『今日は断水』や『もうすでに断水。いつ復旧するか不明』などというものもあるので油断ならないのだ。最初は驚いたが、たいてい1~2時間で勝手に復旧するので、もうすっかり慣れた。
今日の断水は、めずらしく一週間も前から連絡がきていた。しかし8時間もの断水だと。こういうとき、日本だったら夜中に作業をするだろうに、どうどうと早朝(8時半)から昼間一日中だ。文面を見ると、もちろん謝罪の言葉なんぞ一つもなく、協力に感謝する、ちゃんと事前に水を汲んで置けよと書いてあるだけ。

言われた通り、さまざまな容器に水を汲み置く素直な私。バケツ、やかん、寸胴鍋。8時間も水が出ないと思うと、にわかに不安になるものだ。何しろ、全然工事や事務仕事に信用ならないので、本当に時間通りに終わるかどうかも怪しいものだ。寸胴鍋がうちには3つもあるので、かなり大量の水が確保できた。そして朝8時半。試しに水を出してみると、おぉ、ほんとに出ない。こういうときばかりは時間通りだな。

こんな日は仕方がないので、外出するに限る。友達を誘って外でお昼を食べて遊ぶ。お昼ご飯は、めずらしく日本食のレストランだ。うちはめったに日本食の店には行かないので、この店ももちろん初めてだ。まるで日本のようなさまざまなランチメニューに感心する。私が選んだのはメンチカツ定食($7.50)。こういうときって、つい自分で作れない、もしくは家で作るのが面倒くさいものを注文してしまうのよね(←貧乏性)。
ウエイトレスさんも全員日本人で、私とそう変わらない年齢と思われるが、
『メニューの方、お下げしてよろしいでしょうか』
『メンチカツになります』
などという、久しぶりに聞く言葉が新鮮でおかしい。うちだと、こういう言葉遣い、日ごろからギャグになっているのだ。メニューの方、ってどっちの方角だ!とか、じゃあメンチカツになってみろ!とかつい言いたくなってしまう。いや、もちろんそんなこと外では言いませんよ。思っただけ。
メンチカツになります。 → 猫にごはん

家に帰ると、本当に水がほぼ時間通りに復旧したのでびっくりした(10分遅れ)。どうしよう、この大量の汲み置き水...。
ぼくが飲む。 → 猫にごはん