ぼんやり考えたこと
一昨日、叔母が亡くなった。以前から具合が悪かったようではあったが、もう一度会えるかと思っていたのに残念でならない。優しく、たいへん面倒見のよい、リーダーシップのある人だった。最後まで仕事をばりばりしていた格好いい女性でもあった。
アメリカに住むようになってから、身近な人が亡くなったのはこれで4人目だ。
そのうち2人は仲の良い飲み友達だった。思い出すのは、あの頃一緒によく飲んだなぁということだ。2人ともたいへんお酒の強い女性だった。楽しい思い出しか残っていない。友達のうち、一人は私と同じ年齢というのも感慨深い。最後に会ったのは私の結婚式のときではないか。
葬儀のときはたくさんの知り合いが集まったと聞いた。今後友人同士が集まるのは、おめでたいことばかりではなくなってくるのかもしれない。もうそういう歳になったのか。
何より遠くて最後に会えなかったこと、お葬式にも参列できなかったことが寂しい。
話は変わるが、そういえば、おばさんという漢字には意味があるのだった。叔母(父母の妹)、伯母(父母の姉)、小母(よその大人の女性)。叔母さんに、最後に会ったときにもらった口紅は、まだ開けてもいなかった。使ってみようかな。
昨日から私がぼんやり考えていたのは、小学生のの頃テレビで観た、恐山のイタコのことだ。(※イタコは「口寄せ」により、死者の世界にいる先祖や肉親・友人・知人と、 現世に生きる人との仲立ちをし、今は亡き人の意志を伝達する。)
当時そのテレビを観たときに、あぁ自分にはイタコに呼んでもらいたい人がいない、どうしよう。と悩んだものだ(なぜ悩む?)。それほど、子供の頃は身近な知り合いで亡くなった人がいなかったのだ。今なら、あの友達もあの叔母さんもいるなぁ、などと考えたのは不謹慎だったろうか。いや、あの人たちなら、私のこういうところも許してくれるはず。心より冥福を祈ります。
遠く離れていると、最後に会えないことが多くて、よりいっそう寂しいですよね。素敵な叔母様だったのですね。
最近は結婚式に出るより、お葬式に出るほうがめっきり多くなりました。大人になっちゃいましたね~。
以前は、死ぬと自分だけ違う世界に行ってしまうような気がしていましたが、今は知り合いや飼っていたペットたちがいるので逆に安心。
長生きしていると、この世の知り合いのほうが少なくなってくるので、そっちのほうがよほど心配です。
>マルコさん
私たち従兄弟も、みんなが大好きな叔母さんでした。
一度サンディエゴに遊びに来たいと言ってくれていたのに
今となっては機会がなかったことが悔やまれます。
ほんと、考えたら結婚式に呼ばれることは今さらすごく
少ないですものねぇ。これからは葬式だけだなんて、
寂しい…。
マルコさんの意見に激しく同意!最後の一人になるよりも
自分が見送られたいー。あ、でも動物を残して行くのは
いやなので、最後まで看取らないと…(T_T)
マルコさんも私も、せっかちな性格だから、最後にはなら
なさそうですよね(失礼!)。
叔母様が亡くなられたんですか。。。
それはとても残念でしたね。。。
離れていて一番辛いのは、そういう大事な人たちに会いたい時に会えない事ですよね。ワタシはまだ友達が亡くなったとか、そういうのはありませんが、考えただけでも辛いです><
中学生の頃友達と「死んだらどうなるんだろうね~??」って真剣に話してた覚えがあります。想像力豊かな若者は、想像しただけで恐怖を感じてました^^;
だけど、誰もが通る道。皆がいると思えば不思議と恐怖はわかないものですね。
心より冥福をお祈りします。
叔母様が亡くなられたのですね。ご冥福をお祈りいたします。
こういう場面にぶちあたるとしみじみと距離を感じますよね。
私の家族もあたりまえだけど1年1年年をとっていきます。そうすると何が起こってもおかしくないと思っているのでなるべく機会を作って里帰りをするように心がけるようになりました。
noirさん元気を出してくださいね。
>ヤヨイさん
身近だった友達が亡くなるのって本当にショックです。
もうそんな年なのか、とか、もっと一緒にいればよかった
とか後になって嘆いてしまいます。
でも、死後の世界?がもしあるとしたら、先に友達が
行っているというのは、不思議と心強いようなところも
あったりしますね^^;
叔母の葬儀済んだそうです。優しいお言葉どうもありがとう
ございます!
>だのりさん
ありがとうございます。
具合が悪いとは聞いていましたが、なかなかすぐに飛んで
帰れないところが、距離があると辛いですねぇ。
いや、本当は帰ろうと思ったら帰れたのに、帰らなかっ
たことが後悔というか…。
だのりさんもこの間里帰りしてましたね。いいことです
よね。私はもう1年以上帰ってないなぁ(ため息)。